フロイト精神分析とあいあーとな言葉

「無意識は沸き立つ混沌の釜」ジークムント・フロイト読書会に参加。心に残るあいあーと先生語録。心理学の素人が少しずつ血肉に理解できたら…

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精神分析が癒すの?

あいあーとで精神分析に親しむ以前、つまり全くさら地で無知だったころ(今も無知だけど)
精神分析や心理学が人の心を癒すと漠然と考えていたように思います。

いやはや無知にもほどがありますが、
精神分析は、治療の道具であり、
知識を蓄積したからといって癒されるものではありませんでした。

身体の病気では、薬を飲んだり、手術した
休養したり、栄養バランス整えたり
その延長で、自然治癒で徐々に治るのと同じかもしれません。

どう扱うかは、身体の治療とは比べられませんが、
同じように複雑で、大変なエネルギーを要するようです
そして若いほど、柔軟で回復も早い。

でも心は、いくつになっても、いやむしろ歳を重ねるほど
柔軟に自由になる方もたまにいますね。
日野原さんとか、詩人のとよさんやまどみちおさん。
不思議だな。

彼らも人生の辛いしんどいこともあったでしょうが、
どう乗り切って、癒したのか…

話がそれましたが、今回はこのへんで。

次回読書会は8月24日(水)19:30~ 詳細はこちら


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無意識は何でも知っている

フロイトの精神分析によると、人の無意識には、当人が経験したり見聞きた出来事、感じた感情一切合切、保存されるそうです。
感じたり、認識したりすると、心が破裂するようなヤバイ要素ほど、無意識の奥深くにしまわれるとか。

防衛でありつつ、
実際にあったことを認識しないようにするのは、現実認識が曖昧になる反面もあります。

あいあーとや、木田恵子氏の本でもよく言われることですが、
人は自分自身がやった、他人に対するマイナスな行動も、どんなに自己正当化しても、無意識が知ってます。

自己中心に走って、他人に対しての失礼や、恩を仇や、振り回すなど。

事情により止むを得ない場合も多々ありますが。

やりっぱなしでいると、だんだんと無意識に罪悪感がたまって、具合が悪くなるか、ますます現実感不全がひどくなって、周りとずれたトンチンカンな人になります。
おお怖いですね。

無意識に抑圧するにはそれなりの理由があって致しかたない面もありますが、
なるべく、自分の本心や言動は、素直に受け止めた方がいいようです。

それが難しかったりするんですけど。
あ、そこが精神分析が助けるところだった!



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三つ子の魂百まで

三つ子の魂 百まで 木田恵子氏の著書でも引用されています。
精神分析でも、同じように言うそうです。
昔の人の洞察はすごいですね。

赤ちゃんの発達の時期時期で、
固着が起きると、その時期特有の性質が、
大人になっても性格の傾向として残るとか。
固着=トラウマ。

面白いなと思うし、育ち方によっては、こわいですね。

でも大丈夫!完璧な人はいない、みんなぼちぼち。

ただ、あまりに問題が深いと、現実適応が困難。
その問題を自覚することで、コントロールできるようになる。
これも精神分析のキモのようです

自覚すると自分が壊れる危惧で、固着を自覚しない規制のパラドクス。
フシギですね。

確かに、他人の批判や客観的な分析はするけど、
自分を率直に開示するのは時に難しかったり。
ホントにやばいことは、自覚すらままならなかったり。
素直で率直というのは、精神的な健全さしなやかさの具現かもですね。

自覚には時間が必要。現実を自覚して受け止める強さも。

そういうことも含めて、みんなぼちぼちと思っていると、ちょうどいい。
あいあーと先生の含蓄です。

次回 フロイト読書会は 5月25日(水) 詳細はこちら
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メニンガー『己に背くもの』より

ブログデザインを変更しました。
またまた更新がお久しぶりとなっています。

その間にも、ランキングクリックありがとうございます!
おかげさまで、なんだかすごい順位を推移しております。心よりお礼申し上げます。

本を読んでは、ワケワカメなフロイト先生ですが、
読書会の解説を聞いて、その意味が分かると、しばしば感動します。

そんな感動に襲われた一説をば。
フロイトの言葉ではありませんが、フロイトの後進による、分析やフロイトの賛辞的な表現。
これも木田恵子氏の『子どもの心をどう開くか』からの抜粋です。

K・A・メニンガー『己に背くもの』
「知性をもって死に対抗せんとする人々に---
死の影を踏んで、生きぬく決意を新たにするために、
そして、生存のための犠牲として、己れを"憎悪"に売り渡そうとする盲目的衝動を、
輝く"愛"に置き換えるために---」

己れを"憎悪"に…は、自己破壊衝動やタナトスのこと?
自他共に、そのような衝動や言動の悲しさを実感する度、この言葉が胸にズシーンときます。

己に背かず、現実を見つめ、受け入れ結果的に自由になる。トラウマの解除
その過程の尋常でない大変さを身にしみている、フロイト。
それでも揺るがず、輝く"愛"に置き換えようと…!

すごい!!!としか表現にできない。稚拙でゴメンナサイ。

今後とも宜しくお願い致します。

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善悪不二(ふじ)の精神分析

フロイトの読書会とは別の場面で、あいあーと先生の元で、木田 恵子氏の著書「子どもの心をどう開くか」を読んでいます。

           *木田 恵子氏の詳細はリンクをご覧ください。

今週は「善悪不二の精神分析」という項でした。

【本文より】
精神分析は性悪説だという人がいますが、これには私は全面的に反対です。性悪説でもなければ性善説でもなく、強いて言えば、善悪不二説だと思っています。
---

精神分析が性悪説とされる一面は、
神経症の患者の、トラウマから発する問題のある行動を分析することは、
まるでクライアントの悪として更生を迫るイメージでしょうか。

ですが、実際に精神分析に触れてみると、
クライアント自身が自ら解決を求める場合には、真摯な治療はあっても、
問題と自覚しない人にまで、わざわざ追って、「更生しろ!」とは絶対に言いません。
(世の中には、問題があっても、認識せず生きる人がとても多いようです。)


生物学的に、問題の起因を丁寧に掘り下げ、自覚→コントロールできるようになる、
つまり、問題となる行動が軽減されていく、というのが実際のようです。

深く心を掘り下げてみれば、普通は見たくないものがぎっしり。
攻撃本能や、嫉妬、劣等感、自己愛… 枚挙に暇がないな。

精神分析は、トラウマや問題となる行動に対して、
良いも悪いも価値判断は一切せず、「あるがままのものとして受け取る」
これが、善悪不二で、非常に大切なようです。

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同じ項目の中で、親鸞の「自然法爾」とも同義では…とありまして。
人間の真理を見据えるものは、東西、今昔でも相通じるんでしょうか。
普遍性…










日常的にも、ついつい、良し悪しで状況を価値判断してしまいますが、
善悪不二は、自分の心の平穏を保つ、知恵かも知れません。


【項末の文章】
(フロイトは)すべては自然のままに‐‐‐‐といかにもこどもなげに答えられた。

 フロイドがそのような気持ちでその言葉を言ったのかはわかりませんが、自然が善悪を超越していることだけは明らかです。それは生涯をかけて精神の深奥に取り組んできた科学者の行きついた真相として、実に貴重なつぶやきであると思うのです。
---

フロイトは、20世紀を代表する科学者ですが、実に熱い情熱を持って取り組まれたことが、この一文からずしっと来て、なんだか涙が出ます。


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